レッツその日暮らし

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軽度脳性麻痺というのは私のことか?

聞いた話だ。当時としては結構大きな病院で、私は未熟児で生まれた。生まれる時にどうかして、足がちょっとだけ不自由になった。
これが聞いた説明の全てだったので、あまりこの話はしてはいけないのだと子どもながらに思っていて、自分の足がいわゆる「正常な動作」からどれだけズレているのかを考えることがなかった。だって自分の足は、生まれてこのかた、これ以外つかって試したことがないのだし。
両親は根っから善人ではあるが、自分の子どもを障害者にしたくなかったのだろう。身体障害者手帳は持っていない。今思うには7級とか対象外とかの、診断書料が無駄になるケースか、「子どもはその後の成長発達でカバーできる」ケースだったんだろう。その後その件で病院にかかった記憶がない。もし認定されればバス券と施設割引は貰えただろうにね。プールとか。
それで子どものときは、自覚としては「自分はよく転ぶ」「長ズボンに膝はつぎあてがマスト」くらいだったのだが、屋外では装具のような重い靴を履いて、家ではブレース?は使っていたと思う。指をさされて歩き方を真似されて笑われたり、悪口を言われたり、変に哀れみのこもった親切を受けたり、ひととおりを通過してきている、と思っている。
幼稚園に行き同時に療育、というところへ行った。療育は電車で小一時間かかった。幼児だから親が同行とはいえ、そこに電車で行けて、もちろん移動は自分で歩いて、杖も持たず、当たり前だが日常生活に介助がついたことはない。義務教育以降は、今でいう特別支援学校とか、支援学級的なクラスとも無縁であった。でも運動部が盛んな地元の公立中は、行かなかった。

あ、そうだ。ブレースというのは後々、中学校時代にプロ野球選手が好きになり、彼が試合で大怪我をして、インタビュー中に出てきた言葉で、唐突に思い出した。それから私立の中学校では、友人の住む街に遊びにいくとちょっとした旅行気分が味わえたのだが、ある駅前のマクドナルドの看板と、駅前ロータリーをみて、ここがかつて療育の送迎バス停留所だったことを思い出した。フィレオフィッシュといちごシェイクを買ってあげるから、といわれて嫌々来ていた街であった。

「正常な動作」からの距離を意識したのは最近、ほんとうに最近だ。やっぱり、向いている運動とそうでない運動があるらしい。和式トイレで転びそうになるのを除けば、日ごろなにかに困っている訳じゃないのだが、自分は足首が固まっているのらしく、気を抜いていると、子どものころ散々注意されて直させられた「つま先歩き」をしている。でも好んでハイヒールを履く人もいるわけで、バランスがとれていて転倒しなければあまり問題視する必要は(自分には)なくて、なにかを誰かにきかれたら「ふくらはぎを細くしたくて」と答えることにしている。大人になるとあまり、そういう質問はないけど。