レッツその日暮らし

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先輩の書いた、記録を読んでいます。

毎日読んでいます。あ、記録というのは、ここではケース記録をさしています。
面白いのもあるし、そうでないのもある。ひどいのは、知りたいことが全く書いてない。それがわざとの場合もあるし、書き手の技術不足の場合もある。で、うちの事務所の記録ってば、どいつもこいつも、後者のが多い気がしてならない。

昔から、いい記録ってなんだろう、と思いながら、研修にでたりテキストを読んだりはするものの、いくら書いてもかけてる気がしない。あなたもひょっとしてそんなクチ?

もう何年も前、東京都の高齢者虐待対応研修に参加して、目から鱗が落ちた記憶がある。その時は、記録には統一したシートを使え、事例を比較検討するには一定のスケールを用いるべきと教わった。
今思うにあれが、フェイスシートを見た最初の機会だった。うちの職場にある記録用紙は、単に横罫線を引いた紙だったと思う。

記録って第一に、次の人に読んでもらって分かるように残すものだと思うのだけれど、なかなか、そういう残しかたがされていない(ことが多い)。カルテがこれだったら医者が困るだろうなというような感じ。
それって、医者が科学者で、ソーシャルワーカーが非▪科学者だからかなとか思ったりする。最近、福祉職は感情労働ということについて、もやもや考える日があります。

しかしだよ、ケースワーカー感情労働だからといって、ケースに関する情報は勿論のこと、ノウハウとか技術だって明確に言語化され継承されてしかるべきものよね。ハートが熱ければそれだけでいいのかっちゅうね。だって医師や看護師で技術を持ってないなんてこと、あまり考えられないじゃん。
テキストにて最低限の援助技術を学んだとしても、それはあくまで机上の空論、何はなくとも傾聴傾聴。あとはハートで勝負みたいな。これって福祉関係者の間では割りと聞く台詞じゃない?なんか適当だし、それで支援の質は保てるのかい???

で、一番身近なはずの、市区町村の役所の相談窓口は、福祉職がめったに居ないという。お粗末なんだけど割りとずっとこんな感じ。
だから私は、事例検討会や研究会には、可能な限り参加したいのですのことよ。だって怖いんだもの。自信がないんだもの。