レッツその日暮らし

warmsound.hatenablog.com

HOW ARE YOU?→FINE, THANK YOU. みたいな。

ある人がこう聞いてきた。「お仕事にやりがい、ありますか?」

こういうのはあいさつのようなものだから、反射的に「あります楽しいです」と答えた。

そうしたら「そうですかよかった。」と返ってきて、なんか英会話の例文みたいだな、と思ってお尻がムズムズした。 

やりがいのある仕事、とか意味のある仕事、なんて本当はないのではないか?と思う時がある。やらなくてはならない仕事、とか締め切りのある仕事、はもちろんある。こんな自分にも一応、締め切りまでにやらなくてはいけないことがあるから、それをどうにかせねばとあれやこれややっている。

やりがいがあろうとなかろうと、意味があろうとなかろうと、社会人だし、雇用主との契約だから、一定以上の結果をださなくてはいけない。そのうえで、やりがいがあったり、意味を見出すことができたら、それは副産物なのだと考えることにしたら、結構気持ちが楽になると思う。仕事にやりがいや意味がないと、それは人生の時間の無駄遣いかのようにとらえたり、その無駄(と思えること)を忌み嫌うひとがいるのはなんとなく理解できる。そこであえて、「やりがい?あってよかったじゃん、ラッキーだったね」と言ってみたら、いいのではないか、と、これはあくまで自分の場合だけれど、考えてみるわけです。とかなんとかここまで書いてみて、どうも違うな弱いなあと思い・・・

いま自分の担当している仕事は福祉職場で、一般的には「世のためひとのため」の代名詞みたいに考えられている職業ですが、それを実際にやってみると行き着くのは「ぜんぶ自分のため」だと思うわけです。というのは、人は必ず老いて、病んで、働けなくなったり行動に制限がでたり、自分のことも自分で決められなくなってしまう可能性が誰でもあるわけなんだけれど、普段我々は、そういう健康ならざる自分というのを想像しないようにしないように生きている。または、そんなのずっと先の未来の話だとか、ひょっとすると自分には、そういう時は未来永劫やってこない、と根拠もなく確信していたりする。本当は明日にでもそうなるかもしれないのに、不思議とそうは思っていないものです。

そして、いざそういう自分になったとき、周囲に頼らないと生きていけなくなったときに、どうしたらいいのか。どうしてほしいのか。それをいまから予習させてもらって、自分や家族のその時のために準備をしているという、要するに「自分のための準備」を、お給料というかなりまとまったお金をもらって、やっているのです。

それから、「ひとの心って実際なんなのだ」という、どうにもつかみどころがない問題について、これ以上ない題材をもらって、勉強しているという側面も大いにあり、こちらについてはいくら学びを深めても尽きることがない大命題なのだと考えていて、要するに何が言いたいのかというと、社会福祉士の資格を取って、生活保護ワーカーやって、行き着くところは「ひとの心ってなんなのだ」「ひとが生きて死ぬということは結局どういうことなのか」「それに対して自分はどう考え、どう動くのか」といったことを繰り返し繰り返し、一進一退しながら考えていくことしか自分にはできないんじゃないかと。

そんなありがたい経験を積ませてもらっている、さらにその上に、やりがいとか意味とか、自己実現とか達成感とか自己肯定感とかその他いろいろ、求めたら、求めすぎなのではと、そんなふうに考えておりまする。

暑いので、堂々巡りになりそうな話題は、このへんでやめます。

まあでも、ひとが好きなので、今はこれをやってる。ってのが一番シンプルな答えかもしれない。

今日はそんな感じです。