レッツその日暮らし

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万引き家族

万引き家族。映画をみました。ちょっとだけツボだったのは、民生委員さんが昔は地上げにからんでたとこ。あり得る。

映画評なんて柄ではないので、ただの感想だけれど、子どもは学校みたいな、家族以外の集団のなかにも身をおいて、一定期間生活することが、そのまま社会化のプロセスとして不可欠なんだなあと。その子がその中で上手にやってくかどうかは二の次で。
コロニーつうか、ヒッピー村だの新興宗教だのって、確かにひとつの社会だけれども、そういうのじゃなくて、最大公約数的な社会ではどんなことが行われているか、子どもは子ども自身の目で見ないといけないんじゃないかって、見終わってからいちばんに思ったことはそのことだ。
学校が合わなかったら塾でもフリースクールでもいい、同じような年頃の子ども複数が集団で過ごしたうえで、家族っていう基本的な小集団に帰属する。これって車でいう両輪じゃないか。
それで肝心の家族は、血の繋がった実の家族は、機能不全なことも多いから福祉職の介入、っていうのがワタスの商売だったりするんだが。

一方で、特に大人になってからの人にとって、金を稼ぐ能力がなかったら、人は生きてちゃいけないかっていうとさ、日本には一般論だけじゃなく法として、最後のセイフティネットがあって、国が全国民に生きることを保障しているけれども、大人は全員子どもだったことがあるわけで、じゃあ映画の家族とわたしんちがどう違うかというと、おんなじといえばおんなじだ。大差ないと思う。人生はいつどっち側にも進む可能性があって、福祉を受ける人とそうでない人がいるのは、ほんの少しの差というか、組み合わせの差でしかないんだぜ。じゃあ稼働年齢じゃなかったら姥捨山かよと。だって映画にでてくるあそこんちで、唯一の定収入は、ばあちゃんの年金だものさ。どうするよ。普通は5人食わせるのって並大抵じゃない大黒柱じゃないのか。

てなことを堂々巡りするうちに、訳がわからなくなってしまいました。この項続く。かもしれない。