レッツその日暮らし

warmsound.hatenablog.com

カラスノエンドウが咲いている。

朝、ジョギングする人たちの服装が薄着になってきた。否が応でも3月になって春はもうすぐそこ。

今年度中にやっておきたいこと(仕事)がまだ終わっていないので、まあどうにかして乗り切らなくてはいけない。それに、週明けには来期の異動如何について、人事担当者から連絡があるそうで、まあ、どこだろうと行った先でベストを尽くすだけである。福祉事務所のケースワーカーといえど一介のサラリーマンだからね。

 

木の芽どきだなあと感じるのは、変な苦情の電話が増えるとか、窓口に変な思想の持主がくるとか、そういうこともあるが、実際に調子をくずしてしまうケースの人が増えるからだと思う。しょっちゅう医療券だの意見書だのを作っている。季節の変わり目で、もとから身体的・精神的負荷が大きくなるところへ、医者の交代やアパートの契約更新やなにやらでキャパシティーを超えちゃった感じ。(けなしているわけではない。)

 

ストレス耐性があるかそうでないかは、コップの大小に似ている。その人のコップがあふれてしまえば、それは症状に出るということで、コップが大きければあふれにくいけれど、大きさはおおきくても、度重なる修理を経て水漏れがしやすくなっていたりする。コップが小さいときでも、持ち主が(花に水やりをするとかして)定期的に中身を空っぽにしていれば、あふれる前に対処ができる。

 

お金もちでも貧乏でも、健康でも不健康でも、対人関係が豊かでもそうでなくても、人生というのはいろいろな困難があるものだと思う。このことは、先日訪問に行った一人暮らしの男性も言っていた。生きるのってつらいなあ、と言ってうなだれたその男性に、かける言葉がすぐには見つからなかったけれども、そう、かける言葉はなかったけれど、その場に一緒にいることはできるのだと思った。人生の苦悩を前に、ケースワーカーには、そのくらいしかできることがない。二度と自宅へ戻れないような老人を郊外の病院に送っていったり、その人を送る車のなかでどうにか自宅の片づけをさせてくれと頼んだり、そういうことを繰り返すうちに、今年もまた、道端にカラスノエンドウやらレンゲソウが咲く季節になっている。

オチのない愚痴のような日記でした。