レッツその日暮らし

warmsound.hatenablog.com

ストッキングが買えない、と切々と訴えられたり。

自分は労働者としてどのくらい市場価値があるのか。
多分だが、贅沢しなければ、そしてこの先大病でもしなければ、食べていくことは可能だろう。でもいつ何時、行政のお世話になるかはわからない。今は相談を受けるほうにいるけれど、そしてなるべくなら居続けたいけれど、明日もそうであるかどうかは誰にもわからないし、必ずしも約束された事項ではないのです。
なぜこんなことを改めて言葉にするかというと、実は日頃から、ひとのお財布状況を見せてもらっているのに、自分の通帳にいくら入っているのか全くわかっておらず、漠然と「まだあるだろ」で済ませているから。その上、自分がそういう風だとに気づいたのも、ケースのひとの通帳コピーなど見せてもらうと往々にして、年金や手当の入金のあった直後にそのほとんどを引き出しているのを見たからだ。
なるほど、収入がかつかつであるほど余裕がないというのは単にお金の多い・少ないよりも、お金のことを常に気にしてヒヤヒヤしているその心情なのだねと、一言でいうと非常に薄っぺらな実感をした次第。
そうだよな、そんなふうで窓口に来る人生の先達たちにもっともらしい説教をしちゃっても届く訳がない。むしろケースのほうが、私らワーカーを上手く「いなして」いるのだね。
年金や手当は複数月ぶんずつ支給されるのが普通なので、やりくりのできる人であれば上手に案分しているのだけれど、少なくとも私がお付き合いしてきたケースのひとのうち、いっぺんに出しちゃうタイプのひとほど、先を見越した案分ができていない。現金が見えるところにないと心配で全部下ろしちゃうのかなと思っていたのだけれど、どうもそうじゃない。支払いが待っているからとか、お金のあるときに米だけは買わないととか、もっとライブ感に満ちた理由があるみたいなのだ。
うーん、面白いね。でも自分がいかにお坊っちゃんお嬢ちゃんの想像力でしかなかったか、今さら気づいたよね。
ということでいったん、この話はおしまい。この項続く。かもしれない。